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BUHI

いろいろ

 仕事柄、他人に文書を書くことが多い。事務的な文書なので書き出しはあまり書かないが、少し冷たいかと思い、季節に関連した書き出しを書くことが増えた。最近は、「秋めき」という言葉をよく使っていた。秋めき、あきめき、アキメキ、メキメキと擬音がしそうで妙に語感を気に入っていた。が、もう秋めき終わり、秋になった。秋になると調子が良い。

 一方、いかに夏が嫌いかを再認識した一年だった。よりによって、刑事の厄介な事件がこの夏は多く、遠方まで面会に行くことが多かった。重い鞄をぶら下げて、電車を乗継ぎ、汗だくでひーこらと行く。

 行ったら行ったで、ロクなことはなかった。散々に言われ、我慢に我慢をしていたが、堪忍袋の緒が切れ、とガラス越しで不毛な言い合いをすることもあった。結局、最後は、謝罪を受け、よろしくたのんます。とんだ茶番だ。ただ、意外と同情能力が高いのか、スムースに行きだすと妙に同情し、熱心に動き回った。我ながら驚いた。

 話が戻って、秋になると調子が良い。びっくりするぐらい気分が晴れる。忌々しい夏が終わると、こんなに気分が晴れるのか。ちょっとピアノを聞いたりする。帰りしなに空を見たりする(徒歩で通勤している)。

 心に余裕ができると、忙殺された場合とは意味の違う考え事が浮かぶ。忙殺されるときは、それこそ考え事ばかりだけれども、それらは主に脳みそのスペースを食い荒らす類のもので、自由な思考を奪う。そういうのではない。心の余裕ができると空想・妄想・抽象的な考えが増える。

 前に「ストーリー」の話を書いたが、今考えるといいところまで考えれてたかと思う。途中で胡散臭い本を読んで考えを改めかけたことがあったが、必然性・ストーリーの話は、わりと普遍的な問題だと改めて思う。

 ほとんど記憶にないが、サルトルの嘔吐の中で、ある女が「完璧な瞬間」について述べる箇所があるが、今思えばストーリーの話にそのまま関わるように思う。断片的で、偶然的で、意味のないように思える現在に意味を与えようとする営み。現在では未来も見えず、過去は過ぎ去るだけだから、現実では、誰もが物語の主人公に振る舞うようにできないが、必然性を求めるのは自然なことだと思うようになった。それを以前を胡散臭いの一言で断じたが、それだけではないように思う。

 もう一つ。最近、考えれれば考えるほど現代という時代が嫌になってきた。老人が昔は良かったと思うようなものと似たようなものかもしれないが。現代ほど物事が表層的に分かりすぎてしまう時代はなかったと思う。また、自分をこれほどにまで相対的にとらえるようにのぞんでくる時代はなかっただろう。

 いずれも暇なときに書きたい。

 あとは、モームサミングアップを寝る前に読んでいる。何回も読んでいるが、サミングアップの圧倒的安心感。しかし、この本はなぜか頭に残らない。