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BUHI

いろいろ

意味は言い換え

 以前から、怒る人に感心を覚えることがあった。どういう人かというと、自分には全く理解できないポイントで怒る人だ。そうやって怒っている人の話を聞いてみると、僕からすればどうでもいいと思っていたことがその人にとっては侮辱・嘲笑の意味を持つなどという。それが許せないから怒る、というのだ。

 僕にとっては極めてどうでもいいと思っていたことがその人にとっては身体を震わせるほどの打撃力を持つ意味を持つ。おお、そこで怒るんか、と感心する。なぜかといえば、ここには高度の知的作業があるように思えたからだ。例えばだが、Bが「いやあ、A君はオシャレだね。」という言葉にA君がなぜか怒ったとする。仮に、「A君はオシャレだね」→本当はオシャレと思っていないのに、でまかせを言っている→でまかせを言ってBは俺(A)を馬鹿にしている→Bは俺よりも立場が上だと思っている、なんていう思考過程があったとする。それなりに高度な知的作業ではないか。

 こういう思考過程を考えると、意味というのは言い換えだと思う。単なる事実は無色透明だが、それに解釈を施して言い換えることによって事実が意味を持つ。怒る人は、他人が見過ごしてしまいそうな細部を言い換えて自分を怒りに追い込む。

 ただ、よくよく観察すると、短気な人はそんなに高度な知的作業をしているわけではない。劣等感、コンプレックスといった負の根本があって、それらが、プログラミング初心者で習う「Hellow World」並になんでもかんでも自分の怒りを刺激する方向に変換・言い換えしているに過ぎないことが大半だ。結局、短気な人は別に賢いわけでもなく、ただそういう思考パターンなだけかもしれない。まあ、それはそうだろう。

 ただ、この言い換えの能力の乏しい人はいわゆる鈍感な人だ。一般的には頭の悪い人だ。極めて乏しければ、間抜けというやつだろう。ただ、頭が悪いといっても、意外と学歴の高低は関係ないように思う。それなりの学歴を持っていてもこの能力が乏しい人は多い。いや、逆に、この言い換えの能力の高い人の方が珍しい、というべきか。

 シャーロック・ホームズが初めてジョン・ワトスンに会ったときに、ワトスンの風貌を見ただけで、ワトスンがアフガニスタンから帰ってきたことを言い当てるという話がある。ホームズは、その思考過程を一応説明してくれるのだが、小説の中の話といえど驚嘆すべき内容だ。一般人では見落としてしまいそうな細部に意味を与え(細部の事実を意味ある言葉に言い換え)、そこから得られた意味ある情報をもとに論理的に推理する。

 言い換えのパターンはその人の性質がそのまま現れる。自信のない人、傲慢な人、嘘つきな人、やましいところがある人、それぞれ言い換えのパターンがあるのだろう。自分の思考過程を辿ってみても、驚くべきほどに、怪しげな思考パターンに支配されていることに気付く。

 こういう自分の型にはまった考え方をしている限り、見えないことが多くある。ホームズのようには無理かもしれないが、もう少し理知的に考えたいと思う。ただ、こういう知的作業は予想以上に頭を使って疲れる。だから心に余裕がないときはできないし、心に余裕がないときこそ自分のいつもとおりの思考パターンで考えてしまう。