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BUHI

いろいろ

親指/文章

1.親指

 親指は特殊な指で、重音であれ、速いパッセージであれ、親指の使い方の良し悪しで弾きやすさがだいぶ変わる。指が88本あれば完璧なレガートでスケールを弾けるかもしれないが、親指があるため、指くぐり(くぐるかどうかは別としても)が生じ、スケール一つとっても必ずしも簡単ではない。

 よくあるミスが、親指の箇所を手の上下運動だけで弾いてしまうことだ。これをやるといちいち手が上下してしまい、安定感もなくなる。かといって、親指の指の運動だけだと広いアルペジオに対応できない。

 親指は-他の指でも共通すると思うが-親指自体の動き(典型的には握る動き)と回転の動きを組み合わせることが重要だと感じる。回転だけでもなく、親指の動きの動きだけでもなく、両方の動きを合わせる。そうすることで驚くほど俊敏に対応できる。特に、広いアルペジオで親指が鍵盤から少し離れてしまうときでも、すぐに所定のポジションに戻れる。

 パソコンにゴドフスキーが書いた「オクターブ技術の向上」という出典不明の謎のPDFファイルがあった(ページ自体に手書きで出典不明と書かれている)。その中で似たようなことが書いてあった。

①親指だけで練習をする

②親指の「指]の動きだけで繰り返し同じ音を繰り返す

③手の動きを組み合わせる。しかし、手の動きは極めて微妙なものである。

云々。他にも結構面白いことが書いてある。

2.文章

 文章は書き慣れていると思っていたが、考えが甘かった。分かりやすい文章を書くのは難しい。説得力のある文章となるとさらに難しくなる。生来的に怠け者なので、「これで分かるだろう」と論理を飛躍させることが多い。途中で考えるのが面倒くさくなる。過剰な修飾語、もったいぶった言い回し、一言でいえば無意味な文章をよく書いてしまう。無駄な接続詞も多い。

 思考過程を明確に追うことができ、かつ、簡潔。これが実務的文章の一つの理想だろう。しかし、難しい。両方とも問題だらけだ。

 

亡き王女のためのパヴァーヌ

 パソコンにあった昔のファイルに実家で自分の弾いた亡き王女のためのパヴァーヌの録音があった。今聴けば、穴だらけの演奏だけれども、懐かしく感じた。

 隣が公園、前に大して車も通らない道路、反対隣が林、裏は裏庭と林という立地の家だったので、ピアノを弾く分には良い環境だった。音を気にする必要もなく、昼間だったら窓全開でも特に問題もない。いつも、グランドピアノ全開、窓も全開で弾いていた。

 その録音にも背後に鳥の声が聞こえて牧歌的だ。今から思えば良い時だったのかもしれない。

 亡き王女のためのパヴァーヌパヴァーヌは思い出深い。子どもの頃から家でクラシックがよく流れていたが、亡き王女のためのパヴァーヌはお気に入りの曲だった。初めて聴いたときもなんて良い曲なんだと感動し、何度も聴いた。当時聴いていたのはピアノではなく管弦楽版の演奏だったが。

 また、亡き王女のためのパヴァーヌ、弾いてみようか。

三連符、四連符・・・ 音の推進力

 音楽は音符が連続して成立する。当たり前のことだが意外と忘れやすい。例えば、三連符が三連符であることを認識するためにいくつの音符が必要か。

 答えは3つではなくて4つだ。3つだけだと最後の音の長さが規定されない。8分音符でタタタと弾いただけだと、4つ目の音が現れるまで、3つ目の音符の長さが明らかにならない。もしかしたら、タタターーーーーー かもしれないのだ。

 意外とこの意識は重要だ。特に、三連符=3つの音符、四連符=4つの音符とだけ考えると、そこの連符の部分だけ目立つ。リズムもズンチャッチャ型の野暮なものになる。

 例えば、 有名なショパンのワルツop.69-1の冒頭。

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 冒頭部分を、ミ♭レ|レ♭ミ♭レ♭|ドレ♭ファミ♭ と区切ると野暮に感じる。また、拍頭にアクセントが付きがちになる。冒頭のミレはアウフタクトなのだから、音楽の流れとしては、ミ♭レ→レ♭の矢印の部分が流れる必要がある。

 先ほどの話でいえば、ミ♭レ→レ♭の「レ♭」は確かに三連符の一部だが、三連符の冒頭というより、それ以前のミ♭レの8分音符の「レ」の長さを規定する役割の方が聴覚上は重要となる。なぜなら、この「レ♭」を聴いただけでは、三連符の冒頭の音だと分からないからだ。

 同様に、三連符となっているレ♭ミ♭レ♭についても、これに続くドが三連符を規定する音として重要になる。レ♭ミ♭レ♭が三連符として把握されるのは、レ♭ミ♭レ♭→ド、と「ド」があるからこそだ。このドが現れるまで「三連」符であるかは分からない。 したがって、流れとしては、レ♭ミ♭レ♭と切るのではなく、レ♭→ドまでが三連符を規定するものととらえた方がわかりやすい。

 以上のように考えると、ミ♭レ レ♭ミ♭レ♭ ドレ♭ファミ♭は、ミ♭レ|レ♭ミ♭レ♭|ドレ♭ファミ♭ではなく、意外と、ミ♭・レレ♭・ミ♭レ♭ド・レ♭ファ・・・というまとまりでとらえた方が音楽的に聞こえたりする。(・の部分をぶつ切りにするというわけではもちろんない)。

 小節線があるからといって、そこをぶつ切りにしても良いというものではない。音楽は、一つ一つの音が前に進み、次の音につなげられるという一つ一つの音の推進力に支えられている。これは小節線をまたぐ場合であっても同様だ。小節線でぶつ切りにすると、何の情緒もなくなる。

 こういう「音のつながり」は、管楽器などでは強く意識されるようだが、ピアノだと意識されないことも結構ある。

あけましておめでとうございます

 2015年は、それ以前に比べ、忙しくなりあっという間に一年が過ぎた。もっとも、忙しいといっても責任が伴うことをしたわけではない。気楽な一年だったといえるかもしれない。

 今年からはさすがに忙しくなりそうだ。抱負なんていう大それたものではないが、こうしたい・こうありたい、と思うことを書いてみようと思う。

 ①力を蓄える
 ②社会的知性を高める
 ③ピアノを継続する

 ①については、職業柄、専門的能力がなければ話にならないので、この一年は力を蓄えることが主眼になると思う。そう遠くない将来には独立したいとも考えているため、漫然と過ごさないようにしたい。

 ②については、長きにわたったモラトリアム期間のためか、あるいはもともとそういう人間なのか、我ながら社会的知性・社会的スキルが低い。これは、未熟といわざるを得ないので、改善したい。

 ③については、忙しいことを理由にして半端に終わるのは嫌なので、ピアノはちゃんと続けたい。

ボレットのショパン

 音楽の好みなんてあてにならないもので、結局は、好き嫌いに尽きる。自分が良いと思えばそれで良い。当たり前の話だが、クラシックのような高尚な音楽だと外野の声がうるさく、なかなか難しいようだ。

 改めて自分の好みを振り返ると、どうでもいい理由で好き嫌いがある。例えば、ペライアはどれだけ良いピアニストであろうと見た目が好きではないため聴く気が起きず、ツィマーマンやキーシンのような完全無欠型のピアニストも、そのピカピカ感を理由に敬遠し、結局、あまり聴かない。

 閑話休題

 ボルへ・ボレット。ちょび髭から既に大時代を感じさせる。ボレットというとリスト弾きのイメージが強いがショパンも良い。こんな風に弾けたらなあ。例えば、ショパンのバラード1番。3:16~の部分ってこんな泣けるところだったのか。

ノクターンop.55-1もため息が出るような演奏。

ピアノ

 家のピアノとはしばらく触れなくなる。さすがにある程度弾いたため愛着がある。澄んだ音で、音は良いと思う。大学に入学したときに家に来たピアノで、当時の興奮は・・・残念ながら覚えていない(笑)が、興奮していたのだろう。

 これからは電子ピアノだけの生活になる。もっとも、電子ピアノは電子ピアノでそれなりに気に入っている。最近は、ピアノをちゃんと練習して、ちゃんと上手くなろう、そして自分が弾きたいように弾けるようになろうと強く思っている。電子ピアノにはがんばってもらわないといけない。

 特に、今まで避けてきた王道の曲に取り組みたいと思っている。ピアノ曲の王道of王道といえば、平均律クラヴィーア、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲、ショパンの練習曲というイメージがある。ショパンの練習曲は位置づけがまさに練習曲になるが、いずれも芸術的価値、求められる技術、という意味で、ピアノ演奏の一つの到達点を示す基準となる曲だ。

 そんな時間があるのかという話にもなりそうだが、一つの目標は、これらの曲の全曲を弾けるようになること。といっても10年スパンぐらいの話だが。また、バッハに関しては、インヴェンションとシンフォニアからやりおなそうかと考えている。インヴェンションとシンフォニアだって良い曲ばかりだ。単純に、対位法・フーガのことをちゃんと勉強したいという思いもある。

 いつも口だけなので、今回は口だけで終わらないようにしたいと十年後の自分に対して思う。

大掃除、引越し

 引越しのために大掃除をした。長く居た部屋だけあって、掃除をすると懐かしいものがたくさん出てきた。昔受け取った手紙を入れた箱が出てきて(存在を忘れていた)、昔の手紙など読んでいると感慨深いものがあった。古いものだと高校生の頃のものもあった。

 本を大量に処分した。大きな段ボールで10箱ぐらい。主に勉強に使ったものだったが、読んでいなかったものがほとんどだ。処分ついでに、家まで集荷に来てくれるのでブックオフで引き取ってもらった。300冊で6000円。230冊が引取り不可の廃棄処分。最近はしなくなったが、本に線を引く癖があったから、とても売り物になるものではなかったのだろう。

 引越しの準備のためにダンボールを梱包した。60×40×40のダンボールで8箱。6箱ぐらいが本と楽譜になった。7割ぐらいが楽譜か。読まなさそうな本は家に残した。とてつもなく重く、隙間なく詰めると50kgぐらいになりそうなので、さすがに分けて入れた。

 引越しをすると犬に会えなくなるのは寂しいので、新居での生活は憂鬱半分楽しみ半分といったところか。